2011-10-27

戦後世界経済史―自由と平等の視点から

戦後世界経済史―自由と平等の視点から
猪木 武徳 / 中央公論新社
おすすめ度の平均: 4.0
2 換骨奪胎でまとめ上げたその筆力にただただ脱帽
4 現代史の金字塔
4 学究人生の集大成
4 わかりやすい本である。
5 経済の来し方を学び、これからを示す
posted with amazlet at 2011.10.27
上記の本を読みました。

以下、本文からの引用メモ:
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P.3
(一般の経済的な「国力」を示すGDP(国内総生産)などの指標の)計算の中では、市場を通さない活動によってもたらされる満足度は参入されない。例えば家庭内の私的活動(家事とか育児など)の一部が、外部市場を通して調達された労働力に代替され、「市場化されること」によってGDPが大きく膨らむという現象が起こる。従来は家庭内(市場外)の活動とされてきた食事や衣服の縫製が外食や既製服の購入という形をとることによって、これまで家族・友人との好意や必要な交換で済ませていたサービス(用役)が、市場で購入されるという形に変わってくるのである。

P.18
歴史的に見ても、中間層の暑さ、健全な中産階級の存在は、社会的にも政治的にもスタビライザー(安定化装置)としてきわめて重要な働きをしてきた。(中略)巨万の富を得る者がいかに増えたかどうかよりも、「ほどほどに所有している人々」が広く厚く形成されているかどうかということの方が、はるかに重要な問いであろう。

P.201
十九世紀について見ると、植民地「非」保有国(ベルギー、ドイツ、スイス、米国)の方が、経済成長率が高いという事実が指摘され始めた。また戦前について見ると、(英国を除くと)欧州の第三世界向けの輸出額は、それほど大きなシェアを占めてはいないことも明らかにされてきた。二十世紀に入って植民地を獲得したベルギーは、その後低成長に苦しみ、オランダは第二次世界大戦後植民地を失ってから高成長を遂げている点をどう考えるのかという問いも出された。英国の場合は、需要の「質」が未成熟な第三世界に輸出が依存していたことが、むしろ英国の(繊維産業等の)技術革新を遅らせたのではないかという議論まで出てきたのである。

P.286
規制緩和の結果、雇用が増大したと報告されたケースはほとんどない。1992年末に出版された、当時のクウェール副大統領がブッシュ、レーガン両大統領に提出した「規制改革の遺産ーアメリカの競争力の回復」という報告書では、二つの興味ある結果が指摘されている。ひとつは雇用の増加を報告している産業はないということ。いまひとつは、規制緩和によって航空輸送や鉄道業の事故率が(予想に反して)低下しているということである。規制緩和は競争を激しくし、スケジュールや航行に無用のプレッシャーをかけ、事故を増加させると危惧されていた。しかし実際は、緩和前に比べ緩和後の事故率はほぼ半減したのである。(中略)このように米国の場合、規制緩和の効果は業種により異なり、すべてに諸手を挙げて喜ぶという成果は得られなかった。特に金融業界の規制緩和は、その後の世界の金融危機の重要な原因のひとつになる。

P.346
「憲法をめざさない国家」としてのEUが再出発を始めたという点では、この「新基本条約」の意味するところは大きい。筆者は、この「憲法のない国家」の意味を何人かのヨーロッパの識者に尋ねたことがある。返ってきた答えの中に意外なものがあった。「憲法がなぜそれほど重要なのだ。歴史的に見ても、憲法が重要だったのは、専制君主の権力を制約する必要があった時代だ。現代のヨーロッパには専制君主は存在しない。それに憲法があっても、独裁者が出現しないと誰が保証してくれるのだ。ヒトラーをごらん」。憲法に論理と首尾一貫性があるのは当然であり、あらゆる法律は憲法から演繹されると思い込んでいた筆者には、虚をつかれるような考えであった。

P.363
「公的資金」の投入は、その積極的対応姿勢には心理的なプラス効果が働くかもしれないが、先に述べたように、今回の金融危機が長引く原因が流動性の不足によるのか、金融機関のバランスシートの汚れによるのかによって効果は異なる。これまでの金融危機では、どこの金融機関がどのような不良債権を抱えているのかをある程度判別できた。しかし今回問題になったサブプライム・ローンの場合、(中略)(買い手にとって正確に「質」のわからない商品を、その商品の質を十分知っていたはずの専門家である格付け会社は)リスクを意図的に低く算定して高い評価を与えていた(中略)ここには、一般の財の取引の場合には「詐術」と見紛うような、道徳的な問題が伏在している。質に関する劣悪な情報を背景とする市場取引が早晩崩壊することは、経済理論の教えるところであった。(中略)経済の危機と市場道徳の対抗とが表裏一体となっていたとすれば、今次の金融危機への対応策は、単に公的資金の投入という弥縫策だけで完全に乗り切ることは難しいということになる。

P.366
1980年、英国から独立した当時、ジンバブエはアフリカで最も豊かな国であった。しかしロバート・ムガベ初代大統領の独裁政治が、自由と法を踏みにじり、「法の支配」から「人の支配」への転換を強行し、制度としての「自由」を破壊した。依頼20年ほどの間に、一人当たり所得は半分以下になり、失業率は7割、インフレ率は年平均500%という悪夢のような経済社会を現出せしめた。

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